かつてカワサキがヨーロッパ及び北アメリカを中心に製造販売していた輸出専用オートバイ「カワサキ・900Super4」。
正式名称である「カワサキ・900Super4」よりも型式名「Z1(ゼットワン)」での呼称で親しまれています。
ちなみに、この「Z1」という名称ですが、あまりにも型式名で呼ばれていることから、カワサキもZ40周年の公式サイトで「Z1」と表記していたことが話題になりました。
バイクファンならずとも、Z1という名称なら聞いたことがあるという方も多いですよね。
1970年代には一世風靡した名車であり、バイク史上でもトップクラスであることは間違いありません。
しかし、そこに至るまでには幾重にも重なる汗と涙の物語が…。
そこで今回は、伝説の始まりとも言える「Z1」の歴史や魅力をみなさんにご紹介します。
▷1.カワサキ「Z1」の歴史
(1)歴史は業績悪化から始まった
(2)「N600計画」の挫折
(3)ニューヨークステーキ作戦
(4)5年の開発期間を経て「Z1」誕生へ
(5)Z伝説の幕開け
▷2.カワサキ「Z1」スペック紹介
▷3.今甦るZの系譜
(1)「Z1A」
(2)「Z1B」
(3)「750RS/Z750FOUR」
(4)「Z900-A4」
(5)「Z1000A1」
(6)「Z1000A2」
(7)「Z900RS/Z900RS CAFE」
▷4.まとめ
1.カワサキ「Z1」の歴史
1972年にカワサキから発表された「カワサキ・900Super4」、言わずと知れた通称「Z1」。
その平均買取相場はゆうに300万円を超えており、つい先日も初期型Z1に1,200万円を超える値が付き話題となりました。
おそらくZ1に付いた価格としては、過去をさかのぼっても史上最高額でしょう。
ここまで高額となったのには理由があり、生産数の少ない72年式初期型であることが挙げられます。
何でもそうですが、初期に発売された商品には何かと高値が付きやすい傾向があります。
さらには、フレームナンバーとエンジンナンバーには「3」の数字が刻まれており、この3が意味するのは量産車として製造されたのが3番目であることを表しています。
数が少ない上に3番目に誕生したZ1ということから、マニアも喉から手がでるほどのプレミアム価格となりました。
ちなみに、若い番号の量産車は量産試作車とよばれています。
通常であれば「発表会」や「試乗会」、そして生産ラインがきちんと稼働するのかを確認するための「組み立て」として製造されており、市場に出回ることはありません。
おそらく関係者の方から何かしらのルートで市場に流れてきたという経緯もあるため、より高額な値段がついてしまったのでしょう。
そんなZ1は、世界最速の名を欲しいままにした空冷4ストロークDOHC8バルブ直列4気筒として有名です。
これまでのバイク史上でも1位2位を争う名車と言っても過言ではなく、カワサキがあらゆる苦境を乗り越えた末に完成させた「最高傑作」とも言えるでしょう。
しかし、地位と名声を手に入れたかに思われる「Z1」ですが、その完成までには涙なくして語れない「開発秘話」があるのです。
まずは、そんなZ1の栄光の影に隠された開発秘話を深掘りしていきます。
(1)歴史は業績悪化から始まった
カワサキのZ1への歴史は、W1(通称ダブワン)の不遇な時代までさかのぼります。
1966年には、カワサキの主戦場である北アメリカにて650ccバーチカルエンジン搭載4ストローク「W1」を発売したものの、デザイン性の面で評価が低く「BSA※の兄弟車」として揶揄されるほどでした。
※BSA(バーミンガム・スモール・アームズ):イギリスの軍用及びスポーツ用品メーカー。バイク以外にも自動車やバスなどの製造も行っていた。
カワサキとしては、これ以上ないほどの酷評であったことは間違いありません。
また、W1は高速走行時の振動の激しさから、「オイル漏れがする」「部品が振動で外れる」などのクレームを多数受けることとなりました。
結果的には、カワサキの提供するバイクとアメリカ国民が望むバイクには大きな乖離があったということです。
当時販売された「W1」にとって、「デザイン面」「機能面」の両方で受け入れられなかったことはカワサキにとって大きな痛手となりました。
その後1969年には、「最速のカワサキ」を印象付けたとも言える2ストローク3気筒エンジン搭載「マッハⅢ」を販売開始しました。
当時のアメリカでカワサキがどう戦えるのかを考えた末に「空冷2ストローク並列3気筒500ccエンジン」にたどりついたのです。
マッハⅢの最高速度は時速200km/hであり、バイク界で初めてCDI点火を採用したという実績も残しました。
その結果、かつてないほどの爽快感が得られる至高のバイクとして、瞬く間に人気車へと成長していき、商業的にも成功を収めました。
あまりにスピードを求めた設計だったため、「真っ直ぐ走れない」「容易に止まれない」などの声もありましたが、それを乗りこなせる者への羨望の眼差しがあったことも事実でした。
しかしながら1960年代後半、当時カワサキの主戦場であった北アメリカ市場では、燃費性能の悪さから徐々に2ストロークを嫌う傾向が強まりました。
つまり、マッハⅢのように派手に白煙をあげながら突っ走るバイクは販売できなくなったということです。
「W1時代」「マッハⅢ時代」とカワサキにとっては業績悪化と常に隣り合わせな時代が続くこととなるのです。
そこでカワサキは考えました。
「そうだ!世界初となる空冷並列4気筒エンジンを開発しよう!」
世界初となるその計画は「N600計画」と名付けられました。
(2)「N600計画」の挫折
市販車としては世界初となる空冷並列4気筒エンジンの開発に着手したカワサキ。
1969年の秋に市販化することを目指して、開発は順調に進み実走テスト段階まで終えていました。
しかし、カワサキが一縷の望みを託し「N600計画」に全神経を集中させていた矢先、業界屈指のキングオブキング「ホンダ」の一撃が振り下ろされます。
1969年にホンダは市販車では初となる空冷並列4気筒エンジン搭載「CB750FOUR」を発表するのです。
OHCとDOHCの違いこそありましたが、当時のカワサキ陣営にとっては、青天の霹靂とも言える衝撃的な展開でした。
後に当時の開発責任者だった大槻幸雄氏は「僅差で先を越されて非常に悔しかった」と話していたそうです。
結果的にホンダに先を越される形となってしまったカワサキでしたが、ここで新たな一手を打つことを決断します。
本来であれば、業界でも最大手であるホンダに追随する形で同じ750ccの開発を進めるのがセオリーです。
ところがカワサキは違いました。
今更N600を出したところでホンダの後追いにしかならないと考え、排気量をさらに上げた世界初となる「900cc/DOHC並列4気筒エンジン」の開発に挑むのです。
当時の開発チームでは「これで失敗したら会社にはいられない」と腹をくくっていたそうです。
ちなみに、この開発にあたり当時アメリカで流行していたハーレー・ダビッドソンを参考にしたことは有名です。
それだけ熱い思いを胸に計画された新型エンジン開発、その計画名は「ニューヨークステーキ作戦」と名付けられました。
(3)ニューヨークステーキ作戦
なぜ「ニューヨークステーキ作戦」という作戦名が付けられたのか?
実は、当時の北アメリカでは、多気筒を「ステーキ」単気筒を「ロブスター」と呼んでおり、カワサキの本拠地である神戸から特上の神戸牛(後のZ1)を届けようという意味を込めて名付けられました。
それにしても当時のカワサキは経営状況は悪化する一方だったにもかかわらず、面白いネーミングを付けたり、思い切った方向転換をしたりと、やはり成功する企業は常人には思い付かない発想と実行力があります。
さて、ニューヨークステーキ作戦とはどのような作戦だったのか?
まずは後発の利を活かして、DOHCを採用しました。
このDOHCとは、レシプロエンジンにおける吸排気弁機構の形式のひとつであり、カムシャフト1本あたりの負担軽減、バルブ直押し可能による高回転化・高出力化を可能にしました。
また、乗り心地を改良することで足つき性に配慮するなど、商品価値の向上を徹底しました。
やっとの思いでエンジンを完成させましたが、まだ車体デザインが決まっておらず、それを作成する時間も残されていませんでした。
そのためデザイナーたちは連日徹夜続きとなり、まさに命を削りながら完成へと突き進んでいくのです。
こうして1972年に誕生したのが、市販車世界最速マシン「Z1」なのです。
(4)5年の開発期間を経て「Z1」誕生へ
血と汗と涙の結晶とも言える「Z1」の完成には、約5年の月日を要しました。
事前に行っていたメディア戦略がうまくいったこともあり、販売成績も好調が続き、「高性能」「大型車」と言えばカワサキだと言われるほどにまで業績を伸ばしていったのです。
このZ1がカワサキを救った救世主でもあり、カワサキを代表するフラッグシップモデルでもあります。
今の時代でも最高の名車として語り継がれるほど、Z1は日本のみならず世界的に大きなインパクトを与えました。
もしもN600計画が成功していたら、今この世にZ1は存在していなかったかもしれない。
さらには、もしZ1の開発が成功していなければ、カワサキモータースの二輪部門はどうなっていたのだろうか。
そう思っているのは私だけではないはずです。
Z1誕生の裏側には、男たちの熱き戦いの日々があり、絶対に負けられない勝負がそこにはありました。
数々の伝説を残しているZ1ですが、何よりもこの開発秘話にこそ、伝説の始まりが垣間見えるのです。
(5)Z伝説の幕開け
ところで、みなさんは「Z」の由来をご存じでしょうか?
幾多にも及ぶ試練を乗り越えた末に完成された伝説の「Z1」ですが、そのネーミングには諸説あります。
Zはアルファベットの最後の文字、つまり最後にして究極のバイクという意味でZと名付けられました。
それと同時にZAP(風切音)が派生した言葉であるZAPPER(ザッパー)にも由来しています。
スタイリッシュかつ操作性に優れたバイク分類をZAPPERと呼んでおり、シグナルグランプリ※に強いバイクという意味です。
※シグナルグランプリ:信号間の競争。1960年代当時のアメリカでは、愛車のスピードを競い合うストリートレースが流行。
さて、Zの由来が分かったところで、当時のZ人気はどうだったのでしょうか?
新星の如く現れたZ1、大地を揺るがす迫力、精密機械のような繊細さ、風を切り裂くような美しさ、4本出しのメッキ装飾されたマフラー、重厚感のある鋼管ダブルクレードルフレーム。
どれをとっても最高クラスであり、カワサキが世界でNo.1だと言わんばかりの情熱と気合いが込められたバイクでした。
もちろんアメリカでの人気は絶好調であり、Z1の誕生は世界的にカワサキの名を轟かせる大きな転機ともなったのです。
しかしながら、それはアメリカでの話であり、日本国内でその圧倒的なまでの凄さを体感できた者はごくわずかだったのです。
言わずもがな、当時の日本ではかなり難しいとされた「限定解除免許」が必要であり、交通事故や暴走族の影響などから750cc以上のバイクはメーカー自主規制の対象となっていたため、国内市場では売られることがありませんでした。
さらに、1985年の急激な円高の影響を受けたため、逆輸入しようにも手が出せない金額となっていたのです。
では、いつから日本国内でZ1人気に火が付いたのでしょうか?
それは、いわゆるバブル経済が終わった90年代に入ってからのことでした。
当時カワサキが主戦場としていた北アメリカでは、すでに安価で取り引きされており、それが「絶版車」と名付けられ海を渡ってきたのです。
日本では、Z1の扱いは初めから「絶版車」というカテゴリーで人気を博しており、そういった特別感があるからこそ今日まで愛される1台となっているのかもしれません。
当時のカワサキの技術が結集された頑丈なエンジン、チューニングの余地があったことから、日本ではカスタムバイクとして大きな注目を集めたのです。
ホンダが先行投入した「CB750FOUR」の存在、これがなければタダのナナハン止まりであったかもしれない。
後発メーカーだったカワサキが追われる存在となったキッカケこそがZ1なのです。
2.カワサキ「Z1」スペック紹介
ここではカワサキをスターダムへとのし上げたZ1のスペック詳細に迫ります。
正式名称 | カワサキ・900Super4 |
排気量クラス | 大型自動二輪車 |
車体型式 | Z1 |
エンジン | 空冷4ストロークDOHCバルブ直列4気筒 |
内径×行程/圧縮比 | 66mm×66mm/8.5:1 |
最高出力 | 82ps/8500rpm |
最大トルク | 7.5kg-m/7,000rpm |
フレーム | 鋼管ダブルクレードル |
全長×全幅×全高 | 2200mm×0865mm×1170mm |
ホイールベース | 1490mm |
シート高 | 815mm |
燃料供給装置 | キャブレター (ミクニVM28SC,VM28SS) |
始動方式 | セルキック併用式 |
潤滑方式 | ウエットサンプ |
駆動方式 | チェーン |
変速機 | 前進5速(リターン式) |
サスペンション | 前:テレスコピック式 後:スイングアーム式 |
ブレーキ | 前:シングルディスクブレーキ 後:ドラム |
タイヤサイズ | 前:3.25-19インチ 後:4.00-18インチ |
最高速度 | 200km/h |
乗車定員 | 2人 |
燃料タンク容量 | 18L |
カラーバリエーション | キャンディートーンブラウン キャンディートーンスカイブルー キャンディートーンイエロー キャンディートーンスーパーレッド |
同クラス車 | ホンダ CB750FOUR |
あらゆる面からホンダのCB750FOURを超えたカワサキZ1ですが、特筆すべきは最大出力82ps/8500rpmを誇る高性能エンジンが搭載されていることでしょう。
高性能エンジンの高回転を支えるDOHC化もZ1の成功を大いにサポートしており、数々の成功がひとつとなったことで、カワサキZ1の爆発的販売台数へとつながりました。
さらに、熟成に熟成を重ねた重厚感ある鋼管ダブルクレードルを搭載したことにより、走行性の面で安定感とスピード感をもたらせました。
最高速度は時速にすると200キロオーバーであり、Z1のスピードからするとややブレーキがソフト過ぎる印象も受けますが、Z1のようなパワフル型バイクを扱うにはソフトタッチのブレーキが絶妙にマッチしています。
リアにドラムというブレーキシステムは、当時では高い水準のブレーキではありましたが、現代のバイクと比較すると決して高い技術ではありません。
しかしながら、そのソフトタッチなブレーキシステムだからこそ、Z1のパワフルかつ滑らかな走りを可能としています。
もちろんフルスロットルで走行しない限りは、街中でも十分過ぎるほどの安全性と走行性は確保されています。
また、Z1ファンにはたまらないのがティアドロップ型のガソリンタンクです。
間近で見ると惚れてしまうほど魅力的な形状をしており、その優しく温かみのあるデザインはZ1のルックスをより引き立たせています。
さらにルックス面について言えば、クロームメッキ仕上げのフェンダーも外せません。
フロントに採用されておりZ1の顔とも言えるフェンダーですが、質感が絶妙であり、あまりの完成度の高さからゼファーシリーズにも引き継がれることになったほどです。
カワサキZシリーズの礎となったZ1、時代の寵児は今もなおカワサキの熱き魂を燃やし続けている。
3.今甦るZの系譜
カワサキの大逆転劇を演出したZ1ですが、その魂はシリーズ化され後世に語り継がれることとなりました。
モデルチェンジのたびにカラーグラフィックも変更されており、モデルごとに特徴が異なります。
そこでZ1から続くZシリーズをスペックだけでなく、特徴も踏まえて解説します。
(1)「Z1A」
1973年8月から1974年7月まで製造販売されていた「Z1A」。
約2万7,500台は生産されたとされるZ1Aですが、グラフィックが火の玉から太いラインへと変更された以外には、エンジンの黒塗装が廃止され、白光りするアルミ地肌が目立つよりワイルドな印象へと変わりました。
また、リアブレーキ部分にはブレーキシュー残量インジケーターが増設されて、タコメーター内にはテール、ストップランプの断線インジケーターも搭載されました。
エンジンについては、カムカバーにOリングを採用、2分割ヘッドガスケットもオイル漏れ対策として採用されました。
割と細かい部分に修正が入り、さらに走行性や安全性が強化されています。
(2)「Z1B」
1974年8月から販売が開始された「Z1B」。
約3万8,000台は生産されたとされるZ1Bですが、初代Z1から標準装備されていたチェーンの自動給油装置が廃止されて、Zを象徴するエンブレムも900書体に変更されました。
Z通からすると、テールのラインが上まで回り込むデザインとなっている点も見逃せないポイントです。
これと言って大きな変化はないものの、エンブレム表記が変わったことはZ1Bにおける一大変化だったのかもしれません。
(3)「750RS/Z750FOUR」
1972年当時、カワサキは圧倒的なまでのZ1人気で販売成績は好調でしたが、日本国内はと言うと、業界的な自主規制により750cc以上は販売できなかったため、同クラスでの国内版モデルが求められていました。
そこで1973年の4月に登場したのが「750RS」、型式名「Z2」なのです。
よくWEBサイト上でもZ750RSなどと呼ばれることもありますが、正しくは750RSであり、おそらく後述する「Z750FOUR」と混同されてのことだと思われます。
車種名であるZ750FOURという名称よりも型式名である「Z2(ゼットツー、もしくはゼッツー)」のほうがしっくりくるという方も多いのではないでしょうか。
ゼッツーと言うと、人気上昇に一役買ったとされる漫画「あいつとララバイ」も忘れてはいけません。
楠みちはる先生による青春漫画であり、ラブコメ要素もありながら、全体的にはバイクが中心として描かれた作品です。
当時は作中のバイクに人気が集まり、長い間作中のバイクが高値で取り引きされる状態が続いたほどでした。
作中のカラーリングを真似した「あいララ仕様」や「研二カラー」と言うと、懐かしく感じる方も多いのではないでしょうか。
ちなみに、Z2と呼ばれているのは、1973年に登場した750RSから1977年モデルのZ750FOURまでです。
また、Z750FOURについては、あくまで日本国内向けに製造されていたため、Z1000Aのように環境対策する必要もなかったことから、1978年に登場するZ750FXまで4本マフラーでした。
後のゼファーシリーズにも影響を与えるほどのスタイリングであったことからも、その人気のほどがうかがえます。
Z2の発売当時、スターターモーターによるセルフスターターが普及していましたが、電気系統などへの懸念があったことからキックスターターも合わせて装備されるようになりました。
Z1が国内で販売されるようになってからは、多くの人がZ2を手放す時期もあったのですが、結果的には中古車業界全体を見てみると、国内でありふれたZ1よりも国内のみでしか販売されていなかったZ2が人気も価格も逆転していったのです。
(4)「Z900-A4」
1976年にはカワサキZ1はマイナーチェンジを経て、新たなフラッグシップとして「Z900-A4」が誕生しました。
Z通ならご存じの通り、前進のZ1Bから車体番号が連番となっており、フレーム番号はZ1F~、エンジンはZ1E~となっています。
しかしながら、Z900-A4でのチェンジ内容は非常に多く、挙げ出したらキリがありません。
たとえば、ガソリンタンクのフタにカバーが付いたことはご存じでしょうか。
サイドカバーの形状は少し変更されて、シートの開閉レバーが廃止されています。
また、公害対策として、出力やトルクもダウンされており、エアクリーナーの容量も増加しました。
このあたりになるとかなりマニアックかもしれません。
Z900-A4については、かねてからZ1エンジンを使用しているという理由からZ1と同一車種であるとの意見も出ていますが、車体自体は後に続く「Z1000A」のほうに似ています。
(5)「Z1000A1」
Z1/Z900のマイナーチェンジとして1976年に発売された「Z1000A1」。
これまでのZシリーズと比較してもエンジン設計は変わりないですが、クランクケースの強化、クランクシャフトやボアアップなどのブラッシュアップが施されています。
フレームは以前から強度的にも問題視されていたところがあるため改善、環境対策と軽量化の目的から4本マフラーが2本マフラーへと変更、リアブレーキもディスク化されました。
車名はZ1000ではありますが、その紛らわしさから型式である「Z1000A1」で呼ばれることが一般的となっています。
また、知っている人は知っていますが、Z1000Aは海外のドラマや映画などにも多数採用されており、もっとも有名なのは映画「マッドマックス」にてジム・グースの愛車のベース車として使用されていたことでしょう。
当時ファンの間では、「お前知ってるか?」なんて自慢が繰り広げられていたほどです。
カラーバリエーションはワインレッドとダイヤモンドスカイブルーの2色であり、どちらも人気がありました。
(6)「Z1000A2」
カラーバリエーションはルミナスレッド、グリーン、ブラックの3色であり、カラーグラフィックが変更されました。
負圧式燃料コックや新型マスターシリンダーが新しく採用されて、フロントブレーキキャリパーはフォーク後方部へと移動されました。
また、フロントブレーキのリザーバータンクの形状も変更されたのです。
Z1から続くZの系譜。
数々のマイナーチェンジを経て現行型の「Z900RS」「Z900RS CAFE」へと続くのです。
(7)「Z900RS/Z900RS CAFE」
車体の雰囲気こそクラシカルさが残る一方で、現代のクラフトマンシップの融合された最先端のモデル「Z900RS」。
ネイキッドらしさの残るハンドリングを可能としており、乗り心地も向上しています。
徐々に加速していくエンジン特性、エンジン始動からライダーの気持ちを高揚させるバーストサウンド、洗練されたスタイリッシュな外観、どれをとっても最上位クラスと言える代物です。
エンジンについては、もちろんカワサキ伝統の並列4気筒を積んでおり、ホイール、ボルト、Z1からインスパイアされたティアドロップフューエルタンクやテールカウルなど、細部にまでカワサキのこだわりが見られる贅沢な仕様となっています。
主な変更点としては、カラーグラフィックの変更、キャンディートーングリーンではフューエルタンクを滑らかな表面に仕上げる水転写デカールを採用しました。
また、Z900RSと人気を二分する「Z900RS CAFE」も外せません。
カフェレーサースタイルモデルとして誕生し、そのスポーティーさを追求したスタイルが人気を集めています。
車体デザインには専用のカラーグラフィックを採用しており、専用シートも装備されているため、Z900RS CAFEならではの「Zらしさ」が巧みに表現されています。
ツーリングやスポーツ走行だけでなく、街中でも爽快感あふれる走りが期待できる1台です。
4.まとめ
今回はZ1の誕生秘話を中心に「Zの歴史」をご紹介しました。
正直なところ、まだまだZの魅力はこんなものではなく、1日かけても語り尽くせないほどの歴史がそこにはあります。
今のカワサキがあるのは、Z1の誕生があったからこそだと思わせてくれる感動的かつ奇跡的な話だったのではないでしょうか。
「N600計画」、「ニューヨークステーキ作戦」など、数々の死闘を乗り越えた末に伝説として語り継がれることになったZ1。
今もなおバイクファンの間では圧倒的なまでの人気を誇っており、だからこそ先日の高額落札者を誕生させたのは言うまでもありません。
Zならではの「無骨さ」「豪快さ」が硬派な男カワサキを感じ、今もなおZ愛好家を魅了してやまないのでしょう。
そんな私もZ愛好家、いやZの歴史を紡ぐ者の一人かもしれません。
私のような歴史の語り手がいる限りは、永遠に「Z伝説」が消えることはないでしょう。