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【なぜNSR250Rというバイクが生まれ、人々に愛されたのか】

ライター名
バイク比較 (ばいくひかく)
サポート&ライター
バイク比較.comのサポートとライターを担当しています。

今から30数年前、初めて日本国内に「走る戦闘機」と呼ばれたホンダの2ストロークマシン「NSR250R」という恐るべきオートバイが登場しました。レーサーさながらの斬新な外観とカラーリングが、二輪市場に鮮烈なショックと深いインパクトを与えながら、満を持してデビューを果たしたのです。

そもそもホンダ・NSR250Rとは、オートバイメーカー「本田技研工業」が1986年に発売を開始した排気量250ccの2サイクル「レーサーレプリカ」タイプのオートバイです。車名となっているNSRとは(New Sprint Racing)の略称であり、ワークスレーシングモデルNSR500のレプリカとしてこの世に誕生しました。

「走る戦闘機」の異名の通り、その爆発的な加速性能とスピード・操縦性、そして、何よりもその洗練されたデザインから発売と同時に爆発的な人気を博し、紛れもなくホンダのフラッグシップモデルの地位を獲得したNSR250R。

しかし、1999年NSRは惜しまれつつも生産・販売を終了し、その輝く歴史にいったん幕を閉じました。従って、現在新車販売はされておりません。けれど、今尚NSR250Rは、状態の良い中古車が販売当時の新車価格を上回る高い値段で、市場に流通しています。

そんな伝説の名車NSR250Rの魅力について、これから皆さんにご紹介します。

【NSR250Rの歴史、遍歴】

1.NSR250Rとは

伝説のレーサーレプリカモデルと呼ばれ、一時代を風靡したNSR250R。けれど、その開発にはライバル会社であったヤマハとの熾烈な「HY戦争」(ホンダ・ヤマハ戦争)が背景にありました。

1980年8月、オートバイメーカーであるヤマハ発動機より国内向け専用の250CCバイク「RZ250」が販売を開始しました。背景には、1970年代から北米を中心に徐々に高まってきた自動車排気ガス規制がありました。2ストロークエンジンのオートバイは、規制対象モデルとされる中、ヤマハが最後の2ストロークモデルを作る、という発想のもとで開発したのが「RZ250」です。

RZ250の登場は衝撃的でした。4ストロークモデルに比べて格段に軽量かつ、恐るべき加速力がユーザーの心をとらえます。ここに本格的な2ストロークエンジンのオートバイブームが巻き起こりました。

折しもバブル景気の到来した1980年代、空前の2輪レースブームとともにフレディ・スペンサーなど英雄的な2輪レーサーもレーシング界に登場しました。レーサーレプリカにまたがることは、まるで天才レーサーであるフレディにでもなったかのような錯覚を若者に与え、数多くの2ストロークマシンが公道を走り始めます。

さらに、ヤマハはその6年後の1986年、RZ250の後継モデルとしてTZR250の発売を開始。その性能と洗練されたスタイルから圧倒的な人気を獲得し、ホンダの2ストロークモデルとの間に大きな商品格差をつけました。ホンダにとってこうした不遇な時代背景の中に開発されたマシンが、後にそのフラッグシップモデルとまで称されたNSR250Rです。

2.開発に至る経緯、命題

ホンダにはひとつの命題が生まれます。1980年代中期、4ストロークエンジンではCBX400FやVT250Fなど圧倒的な人気を博したモデルを開発・販売していました。けれど、2ストローク部門では、ヤマハのTZR250の性能と圧倒的な人気に全く歯が立ちません。

それどころか、スクーター部門から始まったヤマハとのHY戦争においてRZ250・RZ350に対抗すべくホンダが導入販売した2ストロークモデルMVX250Fには、排気煙の多さとエンジンの焼き付きなど構造的かつ機能的なトラブルが続発します。

加えて、同時期にスズキから発売された名車RG250Γ(ガンマ)の人気も、ホンダMVX250Fの凋落ぶりにとどめを刺しました。その後、スクーター部門ではホンダがHY戦争に辛勝したものの、ホンダの2ストロークモデルの販売は完全に失敗したのです。加えて、実際のレースシーンでもTZRの一人勝ちがSP・F3クラスで続き、ヤマハは2ストロークの分野で圧倒的な強さと速さを誇りました。

もともとホンダは、創始者「本田宗一郎」が、機械的に正確にコントロールできない2ストロークを敬遠していたため、4ストロークエンジンの開発に邁進していました。片やヤマハ発動機は、2ストローク部門における実績を着実に積んで、名車RZシリーズを完成させたのです。ヤマハが蓄積させていた2ストロークの高出力エンジンに関する技術的ノウハウには、当時のホンダは到底及びも付きません。

それどころか、付け焼き刃的に販売を開始したMVX250Fの故障の多さと評判の悪さは、かえってホンダの名声に傷をつけ、後戻りの出来ないピンチを迎えていたのです。何が何でもヤマハのTZRを越す2ストロークモデルを開発しなければならない、それが当時のホンダの絶対的命題となっていました。

3.NSR250Rの誕生とデビュー

1986年10月、ついにホンダの2ストロークモデルNSR250Rがこの世に登場します。けれど、そこに至る道のりは単調ではありませんでした。

さかのぼること4年前の1982年、ホンダは2輪モータースポーツ専門会社「HRC(ホンダレーシング)」を設立します。もともとHRCは、レーシングマシンの開発を専門に活動していたホンダ本社から完全に独立したレース会社です。

MVXの失敗後、ホンダはヤマハRZに対抗するため、まず市販レーサー「RS」と「NS250」を同時開発します。1984年に販売を開始したNS250F/Rによっていったん販売量はヤマハと互角になりました。その均衡をまたも破ったのがヤマハTZR250です。TZRが販売開始されると、再びホンダはヤマハに大きくリードを許します。

追い詰められたホンダは、とうとう最後の一手に打って出ました。2ストローク覇権奪取を図るため、ついにホンダは「ワークスレーサーレプリカ」という、今までどのメーカーも踏み込んだことのない異次元の領域に歩みを進めます。「勝つためには何でもやる」という当時のHRCチームの決意がそこには顕れていました。

1985年に開催された世界グランプリで、かのフレディ・スペンサーが500ccとともに250ccタイトルを獲得したワークスレーサー「RS250RW」を、HRCは極秘裏に日本に持ち込みます。RS250RWを徹底的に研究・分析することで、次年度のワークスレーサーでなく量産型の次世代マシン開発をスタートさせたのです。

こうして翌1986年に開発されたのが、他でもないNSR250Rです。抜群のスピードと加速性を誇りながら、軽量で操作性の良いNSRは発売当初から大ヒットしました。特にインパクトを与えたのは、当時絶大な人気を誇っていた世界グランプリレーサー「ワイン・ガードナー」がデモンストレーション走行を行い、鳴り物入りで登場した事です。

こうしていよいよスズキRGV250ΓとヤマハTZR250R、そしてNSR250R、この3車による三つ巴の激しい2ストロークエンジンの技術開発競争が繰り広げられることになります。その後NSRは大ヒットし、結果的に2ストロークバイク市場は、ヤマハTZR250Rと人気を二分する事になったわけです。

4.メカニズムや構造

① レーサーレプリカ

そもそもNSR250Rに冠された「レーサーレプリカ」の原型は、ライバル車であるヤマハRZ250とスズキRGV250Γによって形作られたと言えます。その原型とは次の通りです。

■ヤマハRZが市販車に持ち込んだ、水冷エンジンとチャンバー型マフラー、そしてモノクロサスペンションなどの「ワークスレーサー」を彷彿とさせるメカニックシステムのイメージ
■スズキRGV250Γが市販化させたワークスレーサーの詳細な外観。具体的には認可されて間もないカウリングの装着とレーサー譲りの16インチホイール、そして初めてオートバイに導入されたアルミフレーム。

この2つのディティールがホンダNSR250Rのレーサーレプリカの原型をかたどっていきます。

② 基本スペック

NSR250Rの基本スペックは以下の通りです。因みにご紹介する「MC16」モデルは初代モデル。

【基本スペック】  型式:MC16
 エンジン:MC16E 水冷2サイクル・ケースリードバルブ90度Vツインエンジン
 排気量:249cc
 最高出力:45ps/8500rpm
 最大トルク:3.6kg--m/8500rpm
 フレーム:ダイヤモンドフレーム
 全長:2035m
 全幅:705mm
 全高:1105mm
 車両重量:145kg
 サスペンション:テレスコピック(フロント)スイングア-ム・プロリンク(リヤ)
 ブレーキ:ダブルディスク(フロント)シングルディスク(リヤ)
 起動方式:キックスターター
 燃費:41.0km/L

5.各モデル(型式)の特徴や詳細な変更内容

NSR250Rは1986年発売の初代モデル(通称MC16型式)から数えると大きく4回モデルチェンジを行っています。以下に、その4モデルの特徴をご紹介します。

①初代モデル「NSR250RG」

NSR250Rの記念すべき初代モデルが、このNSR250RG、通称型式「MC16」です。1986年10月、NS250Rがフルモデルチェンジを行い、生み出されたのがこのMC16。新設計の断面が「目の字」を持つアルミニウム製ツインスーパーフレーム。そのフレームに「NSシリンダー」と呼ばれるニッケルメッキのクランクケースリードバルブの水冷2ストローク90°V型2気筒エンジンを搭載しました。

また、排気デバイス「RCバルブ」のもたらした効果は大きく、低速から高速まで、常にパワフルなエンジンを生み出し、イタリアのバイクメーカーである「アプリリヤ」が製造販売したレーサーレプリカRS250を彷彿とさせるハイスペックマシンが完成します。特に、レーシングマシンであったNS250Rを、そのままのフレームで公道用にサイズダウンしたような姿が印象的です。

型式MC16は、エンジンのクランクケースなど各部の部品に「HONDA RACING」の刻印を刻み込むとともに、RS250など競技用レース車両とパーツ設計を統一させるなど、その本気度は並々ではありません。カラーリングも斬新な「ファイティングレッド」と「全日本味の素ホンダレーシング」のテラカラーであった「テラブルー」が採用され、更に注目を浴びています。

【中古車相場:2019年3月末】34万~75万)

➁史上最速・最強の通称「88モデル」NSR250RJ-RK

1987年11月に発売された型式MC18。通称「88(ハチハチ)」と呼ばれている2代目 NSR250Rの登場は鮮烈でした。

スピードリミッター無しの最終モデルである88は、市販レーサーRS250と同時期に開発されています。そのシルエットやクランクケースの形状からは、専用競技車両であるRS250とほぼ見分けが付きません。レーサーに保安部品を取り付けて、そのまま公道を走らせるつもりなのかと、当時世間を驚かせたような斬新なモデルです。

88モデルには2ストローク市販車初のアクセル開度と、エンジン回転数によって点火タイミングをマイコン制御する「PGM・PGMキャブレター」が搭載され、RCバルブのコントロールによってより強力なエンジンパワーが実現しています。

また、フレームも市販レーサーRS250を彷彿とさせる「五角断面フレーム」を新たに開発。車両全体をより軽量化、コンパクト化させています。

ただその反面、88モデルでは、それまでに販売されていた市販車では到底考えられないほどのハンドル位置等のポジション変更が施されました。低く下げられたハンドル位置と相まって、身長の高いライダーには窮屈すぎると感じられるほど高く設定されたステップ位置。その結果、ライダーは極端な前傾姿勢を取らざるを得ず、視界も制限されてしまうため、公道走行においては危険であると評されたのも事実です。

初代モデルMC16では、ポジショニングも88ほど過激ではなく、公道を走ることも相当に考慮され設計されていました。しかし、2代目モデルでは当初その配慮は切り捨てられます。ただしその後、よほど安全性が疑問視されたためか、さすがに翌年発売された89モデルでは、ステップのポジションは若干ながら下げられるという対応が施されています。

ポジショニングの過激さもさることながら、88モデル最大の特徴は「スピードリミッター」が付いていないということです。年々過激になっていた各メーカーのパワー競争。その問題を解消するためメーカーは自主規制として、250ccクラスのオートバイには、上限45psを設定します。

一応NSR250Rには、リミッターとしてRCバルブが設置され、ノーマル状態であれば全開にはならない仕組みでした。けれど、簡単な配線処理を行うだけで、RCバルブはたちまち全開になり、軽く60psを叩き出すという過激な作りはそのままです。

さらに、88モデル自体の独特なコントロール性にも課題と特徴がありました。88を高速のままコーナー奥まで突っ込んでからブレーキをかけ、それと同時に一気にフルバンクさせながら進行方向を変えます。その状態のまま、リアステアでアクセルを開けつつ駆動力をかけていくと、爆発的な加速性能と旋回性を発揮します。

ところが、初めの旋回を失敗すると、ライン修正はほぼ不可能です。それほどハンドリングが非常に難しいのも88の特徴です。TZRのように、ブレーキングしながら自由にライン取りする走行方法が、88では難しかったのも事実でした。

それに加えて、88モデルが今でも「最強最速」のモデルと呼ばれているのは、その過激すぎるポジショニングとスピードリミッターが無かったことに由来しています。公道を走る上での安全性・視認性よりも、レーサーレプリカとしての斬新さとスタイリングを重視した結果というわけです。

88はその後2年間販売されましたが、1989年2月には88改良型の「89モデル」が登場。型式はMC18のままながら、89モデルからはエンジンの出力特性を制御するためのマイコン「PMG-Ⅱ」が導入され、キャブレターも「PGMキャブレターⅡ」に交換されます。

型式も同じ89モデルは、一見すると88モデルのマイナーチェンジに受け取られがちですが、実の所その内容はフルモデルチェンジに近い変更でした。因みに89モデルの主要スペックを以下に列挙してみます。

最高出力:45ps/9500rpm(88NSRとデータ上は同じ)
最大トルク:3.7kgm/8500rpm(88NSRと同じ)
外見上の変更:当時ワールドグランプリ(WGP)でトレンドとなっていた、空気抵抗を考慮して開発された「スラントノーズカウル」を初めて採用。テールランプも「丸目2灯」に変更。

チャンバー:左右対称のテールパイプを持つチャンバーは、シートカウル付近まで立ち上げられ、1988年に活躍したNSR500を完全にイメージしてデザインされました。長いテールパイプは、チャンバー内の排気ガスを吸出する効果によって、排気効率を上げることを狙いました。しかし、市販車における実質的な効果は低かったようで、単なるデザイン上の仕様変更のようです。

公道走行に配慮したデザイン設計:88モデルよりもステップ位置が若干下げられ、ライディングポジションの窮屈さはだいぶ改善されています。

PGM-Ⅱの採用:より高度に点火制御を行うPGM-Ⅱに変更されたことで、「台形パワー」と呼ばれるパワーバンドが実現。ピークパワーよりも安定したトルク特性を重視することで、乗りやすさが飛躍的に向上。

スピードリミッターの装着:一般道における二輪車の交通事故多発が社会問題化された影響で、1989年から施行された180km/h規制。何よりも、優れた加速性能と速く走ることを追求していたオートバイ作りの風潮は陰りを見せます。扱いやすさと乗りやすさに重心が移動しました。

足回りのスイングアーム:フレームと同様に五角形断面のスイングアームに変更。ハイパワーエンジンにフレームが耐えられるよう、より剛性の高いスイングアームが採用されました。けれど、この五角形断面スイングアームは剛性が高すぎたため、コーナーリング制約を生じさせ、後に登場したMC21モデルでは大幅なフレームと足回りの変更を余儀なくされています。

ただひたすらにパワーと速さを追求し、過激なライディングを要求した88モデル。これに比べれば、89モデル以降のNSR250Rはかなりおとなしいフィーリングに変化しました。スピードリミッターも無く、極端な前傾姿勢による加速性とスピードの追求から、現在でも88モデルこそNSR250R史上最強最速であるのは紛れもない事実です。

しかし、その反面扱いにくいという欠点は否めず、レースでは89モデルが88モデルを圧倒します。「もはや89モデルで無ければレースには勝てない」と言われるほど88と89では性能差が生じてしまいました。

その後、MC18はより進化します。以下の各モデルがMC18型として生産されました。

SPモデル:1989年、89モデルには更に上位グレードとして、SPモデルが登場。主な特徴は乾式クラッチにマグネシウムホイール、減衰力調整付の前後サスペンションという豪華装備です。乾式クラッチの切れの良さと、独特の排気音が、ライダーにレーサー気分を味わわせてくれた魅力的なNSRの1モデルでした。

RKモデル:1984年から1991年までの間に開催されていた市販車改造レース「TT-F3クラス」。このレース専用マシンとしてHRCから短期間販売されたのがRKモデル。SPモデルをベースに、専用の補強フレームや車高調整フルアジャスタブル・ダブルサスペンションを採用。エンジンや電装部にも多数の変更が加えられます。RKにはスリックタイヤが導入され、ホイールサイズも同年代の競技専用車「RS250」と同じです。

またRS250と同じHRC専用パーツを多数使用しており、動力性能ではRS250に迫る性能を秘めていました。その価格差から見た目こそわずかな差異はあったものの、サーキットに送り込まれたRKモデルには「向かうところ敵無し」の状態が続き、連戦連勝を繰り広げます。GP250クラスと同等のタイムを叩き出し、4ストローク400ccの車両など、もはや敵ではありませんでした。

【基本スペック】
 型式:MC18
 排気量:249cc
 最高出力:45ps/8500rpm
 最大トルク:3.8kg--m/8000rpm
 フレーム:ダイヤモンドフレーム
 全長:1985m
 全幅:640mm
 全高:1105mm
 車両重量:145kg
 サスペンション:テレスコピック(フロント)スイングア-ム・プロリンク(リヤ) 
 ブレーキ:ダブルディスク(フロント)シングルディスク(リヤ)
 起動方式:キックスターター
 燃費:36.0km/L

【中古車相場:2019年3月末】35万~138万

③ハンドリングが格段に進歩・3代目 NSR250RL-RN

型式名称は「MC21」。1990年2月、3代目のNSR250Rが登場します。

2代目88・89モデルとの大きな仕様変更は、小さくて視認性の悪かった特徴的なヘッドライトを、横置きのスマートな薄型幅広型状の2灯ハロゲンヘッドライトに換えたことです。リアシートカウルは後部が上方に跳ね上がったよりレーシング仕様に変更され、乗車姿勢もさらにクラウチングスタイルをとるように改良が加えられました。

MC21はこれ以外にもフレームやエンジンに、次のような仕様変更が加えられています。

フレーム:コーナーリング性能をより高めるため、フレームの剛性を見直しました。縦方向の剛性は高める代わりに、横方向の剛性を落として適度にしなるフレームを採用。その結果、格段にコーナーリング性能は向上しました。

ガルアームの採用:最も大きな外観上の変更点が「ガルアーム」と呼ばれたスイングアームの採用です。スイングアームを「くの字」に湾曲させる技術は、ホンダワークスレーサーが1989年のNSR500から採用したシステム。2ストロークエンジンのパワーの重要パーツであるチャンバーの容量や規格、レイアウトにより創造性が生まれます。さらに、バンク角を確保することがより可能となるため、マシン本体に格段の性能向上をもたらしました。

新設計されたエンジン:マシンの心臓部であるエンジンは、クランクケースやクランクシャフト、シリンダー及びシリンダーヘッド等の主要部品が新設計されました。出力特性を制御するマイコンも「PGM-Ⅲ」へと進化。

ギヤポジションセンサーの導入:新たに導入されたギヤポジションセンサーの働きで、より細やかな出力制御と扱いやすいエンジン特性及びパワーがもたらされました。

こうした大幅な改良を加えられたMC21モデルは、開発から約20年近く経過した現在でも、戦闘力の高い車両として、ジムカーナのトップライダー達が使い続け、上位を占めています。

MC21にはその後もわずかながら改良が加えられ、下記の型式名でマイナーチェンジが行われています。

SPモデル:1990年から1993年に発売されたモデル。前後マグネシウムホイールを装着。カラーリングとしてHRCなどのワークスカラーや「ロスマンズカラー」を採用。NSRの人気を不動にするために上位モデルとしてSPモデルが生まれました。

STDモデル:一般公道向きに作られた廉価版のスタンダードモデルがSTD。

SEモデル:SPモデルをベースに作られたが、スタンダードモデルのSTDと同じミッションで、乾式多板クラッチや前後サスペンションに減衰力調整機構を装備しています。

尚、MC21モデルまでは45馬力ですが、1991年オートバイメーカー主要4社の自主規制により、250ccクラスの新型車には40馬力が適用される運びとなります。それに伴い、ホンダはこれ以降エンジン部の性能アップを図るためのモデルチェンジを行わない方針を決定します。

【基本スペック】
 型式:MC21
 排気量:249cc
 最高出力:45ps/8500rpm
 最大トルク:3.7kg--m/8000rpm
 フレーム:ダイヤモンドフレーム(アルミツインチューブ)
 全長:1975m
 全幅:655mm
 全高:1060mm
 車両重量:151kg
 サスペンション:テレスコピック(フロント)スイングア-ム・プロリンク(リヤ)
 ブレーキ:ダブルディスク(フロント)シングルディスク(リヤ)
 起動方式:キックスターター
 燃費:30.2km/L 

【中古車相場:2019年3月末】48万~72万(平均相場120万円)

④最終進化を遂げた4代目NSR250RR-RT

NSR250Rの最終型がMC28モデル。1993年10月発売開始されました。MC28モデルの全般的な特徴は「電子化」が進んだこと。それ以外の主な仕様変更点は以下の通りです。

形状の変化:レーサーNS500を模し、全体的に丸みを帯びた形状のカウリングを装着。

プロアームの採用:MC21で採用されたガルアームのパテントはヤマハが持っており、使用期限が過ぎたために、片持ち式のスイングアームを採用。これは耐久レーサーRVFからのフィードバックです。

PGM-Ⅳの採用:エンジンマネージメントシステムをPGM-Ⅳにバージョンアップ。これによって2輪初のカードキーを採用。ハンドルロック解除やエンジンスタートする際に使用するキーとして「PGMメモリーカード」が導入されました。また、通常の「公道用PGMメモリーカード」の他に、「競技専用メモリーカード」を使用するだけで、簡単にエンジン特性を変更できるようになったのです。

ヘッドライト:常時点灯型への変更

メーター周り・ランプ類の変更:スピードメーターは液晶デジタル表示のメーターに変更。新たにハザードランプスイッチが装備され、駐車時の安全確保が図られました。さらに、ポジションランプ内蔵型ウィンカーも採用され、視認性・操作性が格段に向上しました。

MC28にはMC21同様、それぞれSP、SE、STDの3グレードのモデルがラインナップされています。いずれも販売力向上を図るために、若干の仕様の差異が見られます。ただ、いずれのグレードにも共通して、それまでにはなかったメーター類等の電子化が採用され、より運転しやすく防犯や安全に配慮したシステムが組み入れられています。

NSR250Rの最終モデルMC28。ライダーにとって乗りやすさと速さは魅力の逸品でした。とにかく素直な乗り味は、最強最速と怖れられた88モデルからは想像も出来ないような安心感と安定感を与え、完成されたNSRとして今も高く評価されています。

【基本スペック】
 型式:MC28
 排気量:249cc
 最高出力:40ps/8500rpm
 最大トルク:3.3kg--m/8000rpm
 フレーム:ダイヤモンドフレーム(アルミツインチューブ)
 全長:1970m
 全幅:650mm
 全高:1045mm
 車両重量:153kg
 サスペンション:テレスコピック(フロント)スイングア-ム・プロリンク(リヤ)
 ブレーキ:ダブルディスク(フロント)シングルディスク(リヤ)
 起動方式:キックスターター
 燃費:22.2km/L

【中古車相場:2019年3月末】110万~260万(平均相場120万円)
 

6.生産終了の逸話とエピソード

①生産終了の理由

ホンダのフラッグシップモデルNSR250Rにも、いよいよ終焉の時が訪れます。1990年代後半、日本経済を突如襲ったバブル崩壊。その影響はレースブームの終わりを告げ、代わりにカウルを装着せず、エンジンとフレームが剥き出しのバイク「ネイキッドブーム」が訪れました。その影響をもろに受け、さしものNSRの人気にも陰りが現れ始めます。

そこに加えて、折から高まっていた「排出ガス規制」の流れが、NSR250Rの生産販売にとどめを刺しました。ホンダは、もはや2ストロークエンジンでは自動車排出ガス規制の新基準をクリアできないことを悟ります。そのため一部の競技専用車を除いて、全てをクリーンな4ストロークエンジンに変更する方針を決定。

ついに1999年を最後にNSR250Rの販売は終了します。こうして1980年代前半から1990年代初期まで、「走る戦闘機」として旋風を巻き起こしていたホンダNSR250Rの歴史も幕を閉じたわけです。

②生産修了後のNSR

NSR250Rが生産終了されてから、早20年近くが経過していますが、未だにその人気は衰える事を知りません。却って中古車市場を俯瞰すると、新車価格よりも高値で取引されている状態の良いマシンが、数多く見受けられるのも事実。

特に、年々流通しているNSRの台数が減少していることも重なって、中古車相場は高騰し続けています。特にMC21型とMC28型の人気はうなぎ登りです。今後も価格の高騰が予想されています。

その反面、流通している台数の多いMC18型やMC16型は、状態の良く、価格も抑えられているのでお買い得と言えるでしょう。インターネットで「NSR」をキーワードに検索すると、数多くの中古車が販売されています。もし、気になる1台が見つかったら、なるべく早めに交渉することをおすすめします。

NSR250Rが与えた影響力とその魅力

 

1.アニメ「ばくおん」とNSR250R

2016年4月から6月にかけて、TOKYO MXテレビで放映されたのがアニメ「ばくおん」です。主人公「佐倉羽音(さくらはね)」は丘乃上女子高等学校に入学したての高校1年生。それまでオートバイとは全く無縁の生活を送っていた羽音は、登校初日、自転車で登校する途中坂道でへたりこんでいます。

そんな羽音のすぐそばに現れた1台のオートバイ。その圧倒的な存在感にカルチャーショックを受けた羽音は、たちまちバイクの魅力にとりつかれます。バイクがきっかけで知り合った「天野恩紗(あまのおんさ)」とともにバイク部に入部することになった羽音は、まず免許取得に奮闘します

ストーリーの導入はこんなエピソードで始まりますが、全編を通して「ありそうでなかった女子高生&バイク」の組み合わせを軸に、登場人物のユニークなキャラクターを描いた「爽快ハイテンション学園コメディ」がアニメ「ばくおん」です。

NSR250Rは、アニメ「ばくおん」第9話「しんにゅうせい」に登場します。ライダーはなんと、羽音達が通っている丘乃上女子高等学校の校長「たづ子」です。たづ子は独身で、しかも20年前のバイク部部長でありOG。年齢不詳のバイク部の先輩である「来夢先輩」に憧れています。

たづ子の愛車は1988年式のホンダNSR250RJ-RK。型式はMC18。カラーリングは上級車の「ロスマンズカラー」。いったんはバイクから手を引き、校長職に専念していたもののバイク部の復活と羽音達の行動に刺激を受け、再びリターンライダーとなることを決意します。

「ばくおん」第9話には、「来夢先輩」が峠でレースを張り合う場面が描かれています。そのスタート地点である峠の駐車場で、若き日のたづ子の傍らに停めてあるNSR250Rが一瞬映し出されます。またよく見てみると、第1話のオードバイ部の壁に立てかけてあるチャンバーも、実はNSRの部品の一部のようです。いずれも一瞬しか映し出されないので、よく目を凝らして眺めて下さい。作者のNSRに寄せる想いが、瞬間ではあるものの垣間見えます。

2.NSR250Rへの憧れと魅力

4代に渡って大きなモデルチェンジを繰り返してきたホンダの名車NSR250R。その魅力は何と言っても斬新なスタイリングとかっこよさ、そして何より操作性の良さに尽きます。ただし、NSRが登場する以前、ヤマハから「永遠の憧れ」と称されるRZシリーズが販売開始されました。

2ストロークエンジンの先駆けであるヤマハRZ250は、NSRが登場するまでの期間、爆発的な加速性能で一世を風靡しました。RZの甲高い金属的な排気音は、一度耳にした者であるなら忘れられない興奮を呼び覚まされることでしょう。それほどにRZ250・350は当時の若者のハートを射貫いたのも事実です。

しかし、RZ250には大きな難点がありました。フレーム剛性の低さとブレーキングシステムの軟弱さです。恐るべきRZの加速性能とパワーに、フレーム剛性が全くついていけません。また、発売当時のドラム式ブレーキでは、その速度と加速したボディを完璧に制御することが十分では無かったのです。そのため、RZにまたがるライダーの事故が多発します。

やがて、RZは恐ろしい魔力を秘めた危険なバイクとして、一般ユーザーに伝播されます。「あのとんでもない加速感を味わいたい。しかし、命は惜しいし、危険すぎる。」そう感じたライダーが数え切れないほど多かったのも当然のことです。

そんな中、ホンダが満を持して登場させたのがNSR250Rです。RZには無い斬新なスタイリングである「レーサーレプリカ」の名の通り、色鮮やかなデザインとフルカウリングのボディ。前傾姿勢を余儀なくされるハンドルの位置とステップの高さ。何もかもが鮮烈で、ライダーの胸を一瞬で熱くさせました。

何よりNSRには、RZには無かったマシンそのものへの安心感・信頼感がありました。どれほど高速でワインディングロードを走り抜けても、そのパワーに負けないフレーム剛性と抜群のブレーキ制動能力。ハンドリングの操作性は言うまでもありません。マシンにまたがるユーザー一人一人が、安心してスロットルを開くことが可能なオートバイこそNSRだったのです。

また同時期に、ホンダの名車として君臨していたCBX400Fのような重量感が無い代わりに、圧倒的な取り回しの良さをNSRは感じさせてくれました。エンジンを切って、ハンドルを握り、移動させる際のあっけないほどの取り回しの良さは、4ストロークバイクであるCBXとは比べようがありません。車庫に駐車する際に毎回味わうストレスなど、NSRではほとんど感じないで済むのです。

400ccでありながら、圧倒的な重量感と存在感を味わわせてくれたホンダの名車CBX400F。片や、軽量で取り回しも良く、前傾姿勢でまたがる完全なレーサーレプリカNSR。当時、この両車がともに同じメーカーから販売されているオーバイトとは、全く信じられないほどの感銘を受けた記憶が私にはあります。

まとめ

昭和の後半から平成の初め、国内には数多くの名車と呼ばれるオートバイが、きら星のように現れては私たちの前から姿を消し去りました。

スズキGT380(通称GTサンパチ)、ホンダCB750、カワサキW1など、いずれも当時爆発的な人気と共にユーザーに支持された名車です。

その中にはNSR250Rのように現在でも尚、根強い固定ファンを抱える「不朽の名車」と呼ぶべきオートバイが何台か存在します。ハイテクマシンが続々と登場する現代にあって、システムの古さこそ否めませんが、そのデザインやエンジン音など、マシン本体が醸し出す魅力や輝きはいささかも衰えることはありません。

オートバイがオートバイとしての魅力を純粋に放って来たNSR250R。これからもこのNSRは、その実力と魅力を知る多くのユーザーから支持され続けることでしょう。皆さんもぜひ一度、昭和の名車ホンダNSR250Rに触れてみてください。