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ホンダが世界に誇る名車「CBX1000」の魅力

ライター名
バイク比較 (ばいくひかく)
サポート&ライター
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ホンダが世界に誇る名車「CBX1000」の魅力

かつてホンダが製造販売していたCBXシリーズの中でも、未だに根強い人気を誇っているのがこの「CBX1000」です。

CBXシリーズの中でも、単にCBXと略す場合にはCBX1000を指しており、シリーズを代表する顔でもある人気車なのです。

ホンダ製の6気筒バイクと言うと、他にも「GL1800ゴールドウイング」が人気ですが、それよりも前に元祖6気筒エンジン搭載車として一世を風靡していました。

今回はそんなCBX1000の歴史や魅力をみなさんにご紹介します。

【目次】

1.ホンダ「CBX1000」の歴史

1978年にホンダから発表されたCBX1000。

国内での市販車初となる直列6気筒エンジン搭載車として有名ですが、実はこれよりも前に6気筒エンジン搭載車は登場していました。

その名もベネリから発表された「750Sei」です。

しかしながら、当時は注目を集めたものの、蓋を開けて見るとCB500エンジンを2つ付けている構造であるため、元祖直列6気筒エンジン搭載車と言えば、CBX1000というのが通説です。

さらに、直列6気筒エンジン搭載車には、ホンダのCBX1000の他にもカワサキの「Z1300」があり、世界中の旧車を見渡しても、直列6気筒エンジンを搭載しているのは、ホンダ・カワサキ・ベネリの3車種のみです。

これだけでもCBX1000がなぜ世界中のライダーから愛されているのかが分かると思います。

もちろん希少であることも魅力のひとつですが、CBX1000はそれだけではありません。

その体躯に積まれた直列6気筒エンジンの奏でるメロディは、バッファローの大群が草原を駆け抜けるかのごとく迫力があります。

このサウンドに包まれたとき、自分だけの世界に浸れる心地よさがそこにはあります。

乗ったことがないという方は、試乗するだけでもこれまでの世界観が大きく変わります。

(1)CBX1000には原型があった

実は、そんなCBX1000にも元となった原型のバイクが存在します。

それは、1964年にレース用に開発されたワークマシンです。

このワークマシンにこそホンダで初めて直列6気筒エンジンが搭載されていたのです。

そのワークマシンのスペックはと言うと、空冷4サイクルDOHC6気筒であり、249.4㏄かつ60ps/18000rpmというハイスペックです。

また、ミッションは7速、アイドリングの回転数6000rpmというので驚きです。

なぜこのようなマシンが開発されたのかと言うと、ホンダはこれまでロードレース世界選手権を4気筒エンジンで戦っていました。

ヤマハが高性能2気筒エンジン搭載車を出場させた1960年代、ホンダはと言うと250㏄クラスではわずか2勝にとどまりました。

そこでホンダは、同じく2気筒で勝負するのではなく、さらなる馬力を求めて6気筒の開発に乗り出します。

長い道のりを経てたどり着いたのが、250㏄6気筒エンジン搭載車である「3RC164」です。

これが前述したワークマシンのことです。

初めてその走りを見た観衆は、まるで時計のように精巧なエンジンだと称賛しました。

それもそのはず、ホンダの真髄は飽くなき探求心と精巧な技術力であり、その結晶として誕生した3RC164が称賛されないはずがありません。

実は、このエンジンはまだ開発途中であったにもかかわらず、秘密兵器として投入することになりました。

3RC164というネーミングは、前身の2RC164からきており、まるで直列4気筒エンジンRC164の進化版というイメージさえ持たせています。

なぜこのようなネーミングを付けたのかと言うと、ホンダの最終兵器であるため、レース直前まで秘密を知られてはいけなかったからです。

そのため、レース直前まで、6気筒エンジンの代名詞でもある6本のマフラーのうち、2本を外す工作までしていました。

ここまでしてでも一矢報いる必要があり、そのおかげか最大出力では2気筒に劣るものの、スピードでは4気筒を上回ることが確認できました。

その結果、翌年にはRC165、さらに完成形であるRC166へと進化を遂げることになりました。

ついに完成形となったRC166は、世界選手権で10戦10勝、マン島TT優勝も果たし、名実ともに世界の頂点に立ちました。

翌年にも世界選手権でタイトルを獲得することができましたが、6気筒がレギュレーションで禁止となり、ホンダは撤退することになります。

かつてないほどの衝撃を生み出したホンダの6気筒エンジンは、RC166の市販モデルとして「CBX1000」を誕生させます。

(2)国内向けモデルではなかった?

ロードレース界において、輝かしい成績を収めたホンダRC166は「CBX1000」として世に誕生することになります。

しかしながら、当初CBX1000は日本国内では販売されませんでした。

なぜなら、1970年代当時の日本では、開発競争の激化防止、社会的に不相応な工業製品の出現防止などの理由から、「自主規制」せざるを得ない環境だったからです。

それゆえに、国内向けモデルとして販売できないバイクについては、海外輸出し規制を抜ける形で逆輸入されることもありました。

今とは異なり、750㏄を超えるバイクは販売することが自主規制されていたため、1988年にはホンダがアメリカ製ゴールドウイングを逆輸入車として国内ディーラーで正規販売を始めました。

これをキッカケに翌年にはヤマハが「VMX1200」を日本国内では初となる国内製バイクとして販売を開始します。

ホンダのゴールドウイングと比較すると、やはり自主規制を考慮した製造バイクであるため、大幅なパワーダウンは否めません。

当時の自主規制には、排気量規制の他にも出力規制があり、750㏄を超える排気量のバイクでは、100馬力までという制限もありました。

これは2007年に廃止されるまで続いており、自由化が進んだのはつい最近のことであるのが分かると思います。

もともと国内向けモデルではなく海外への輸出向けということもあり、その開発や改良にはホンダと言え苦労を重ねることばかりでした。

1960年代当時、ホンダはアメリカへの輸出向けということもあり、バイクのデザインや仕様もアメリカ向けに製作していました。

ところが、ヨーロッパ仕様はどうかと言うと、アメリカモデルを一部交換し、あとはヨーロッパ向けにカラーリングするというスタイルでした。

この姿勢がヨーロッパで受け入れられなくなり、ヨーロッパ市場を再度盛り上げようと行われた作戦が、かの有名な「ノルマンディー上陸作戦」です。

(3)ノルマンディー上陸作戦

第2次世界大戦の最中、連合軍による北西ヨーロッパへの侵攻になぞらえた作戦名ですが、これはのちの3代目ホンダ社長となる久米是志専務により実行された画期的作戦です。

これまでのヨーロッパでの悪いイメージを払拭すべく、スーパースポーツモデルから実用的なモペッドまで、幅広くヨーロッパ市場だけのモデルが数多く開発されました。

その重要な作戦のトップとして据えられたのが、このCBX1000なのです。

CBXの由来は、CBを超える究極(X)という意味で名付けられました。

ノルマンディー上陸作戦では、すでに当時から存在していた水平対向4気筒999㏄の「GL1000」やフォーミュラマシン「RA271」のエンジンをもとに作るという計画もありました。

しかしながら、それではヨーロッパ市場を取り戻すことはできないと考え、最終的には完全に新設計となる6気筒エンジンを採用することに決定しました。

ホンダはRC166での実績があったとはいえ、エンジンをそのまま排気量を上げる形で車体に詰め込むという単純作業ではありませんでした。

市販用に製造することは始めての試みとなるため、想像以上に直列6気筒エンジンの開発に苦戦することとなるのです。

(4)難航した直列6気筒エンジンの開発

ホンダにはすでにRC166で培った技術と経験がありましたが、それでも直列6気筒エンジンを市販用として実用化させるまでには相当な苦労がありました。

エンジン開発だけではなく、それに付随する形でフレームに手を加える必要があったからです。

CBX1000に採用されているフレームは、RC166と同じくダイヤモンドフレームですが、当初はダブルクレードルフレームで計画されていました。

このダブルクレードルフレームとは、アンダーも付いているエンジンの上下を囲む2本のフレームのことです。

ダブルクレードルフレームで計画は進みましたが、もっとも計画に支障をきたした理由は、その容姿が悪かったことが挙げられます。

開発途中とは言えスタイリッシュさを失っているばかりか、構造上の理由から、シリンダー間の幅が狭くエキゾーストパイプを大きく曲げる必要が出たため、とても見られるような状態ではありませんでした。

ヨーロッパ市場を再生させるためのプロジェクトにとっては大打撃であり、性能と同じように見た目も重視する必要性を感じたのです。

当時のデザイナーは無理を承知で、フレームがエンジンの上だけを通るスタイルのダイヤモンドフレームを採用することを提案しました。

全ての開発に通ずることですが、開発途中で計画を変更するということは、これまでの開発経過を白紙に戻すことであり、これまでの時間と労力を考えると提案するにも勇気がいったことでしょう。

フレーム問題は、デザイナーの勇気ある行動で解決され、あの独特なエキゾーストパイプラインが完成することとなりました。

(5)最大の問題点

ダイヤモンドフレームを採用することでフレーム問題は解決しましたが、一番の問題点はエンジンでした。

エンジン開発はさまざまな問題を抱えており、社長の本田氏いわくCBX1000は水冷ではなく空冷でなければならないとしています。

また、CBX1000のエンジン構造は3気筒を2つ組み合わせたようなスタイルをしており、当時は分割させるという技術が至難の業だったのです。

それだけではなく、当初の目標である重量の100㎏を大幅に超える200㎏超となってしまい、機能性に影響を与える危険性もあるため、軽量化を図る必要性が生じました。

知る人ぞ知る話ですが、開発者いわく開発で一番苦労したことはエンジンの軽量化であったとのことです。

この重量オーバーを解決するために、エンジン内にある部品のマグネシウム化を試みました。

マグネシウムは軽量化するのに最適な金属であり、市場価格さえ安くなれば、いずれプラスチックにとって代わるとも言われている優れた性質を持っています。

今では自動車や航空機、医療機器などにも使用されています。

また、エンジンだけではなく車体側にも軽量化を図るため、量産型のバイクでは初めてとなるジュラルミン製ペダル・ステップなどを採用し、最先端の技術で軽量化を目指しました。

このように多くの問題を乗り越えながら、ようやく1978年にはイギリスでリリースされるまでに至りました。

同年にマン島TTレースにて行われたプロモーションでは、コースマーシャルが実際に試乗したことでも有名です。

これほどまでに満を持して発表されたCBX1000でしたが、通の間では知られている通り、わずか1代限りでその幕を閉じてしまいました。

最大の原因として挙げられるのが、前述した問題点が完全に解決できていなかったことが挙げられます。

どうしても大きくなりすぎてしまった車体やエンジン、見た目の割には軟弱な骨格、そして空冷で熱に弱いため想像以上にスピードが出なかったことが敗因です。

後に解明されたことですが、本来当時の技術で作る空冷6気筒に無理があったと言われています。

3気筒ずつで分かれていますが、どうしても両サイドの真ん中のパイプを冷やしきることが難しいのです。

両サイドは熱を上手く逃がすことが可能ですが、間に挟まれたパイプは風にあたり冷やせる面積が少ないため、どうしてもパワーを出し切れません。

ホンダがそのようなことを見過ごすことはないため、水冷ではなく空冷にこだわりを見せた社長の意見を尊重したのか、RC166のレプリカであることにこだわりすぎてしまったのか、今でも真相は闇の中です。

さらに、素材や構造にこだわるあまり、車体価格が高騰したことも大きな要因と言えます。

当時の価格で130万円は超える価格だったため、市販車として一般人にはなかなか手が出せない高額商品となっていたことも影響しています。

そこへ拍車をかけたのがCB750F/900Fの登場です。

当時の値段でCBX1000の半額で購入できただけではなく、より軽くより速いスポーツ性能抜群の名車だったのです。

当然のように誰もがCBFへと流れていき、ヨーロッパ市場のみならず、当時主要市場であったアメリカでも同じ現象が起きてしまいました。

かくしてCBX1000は、「ホンダの赤ジェット」とまで称賛されはしましたが、売り上げ面ではどうしても伸び悩んでしまい、メインターゲットであったヨーロッパ市場ではなく、6気筒という独自性がステータスとなるアメリカで人気が出ることとなりました。

悲劇の名車「CBX1000」、時代がCBXに追いついていなかったと言わざるを得ません。

その後、三型SC06としてカウルを装備し高級グランドツアラーへと変貌を遂げていきましたが、くしくもそのポジションには、すでにゴールドウイングが鎮座していました。

すでに居場所を失くしていたCBX1000は、当然のごとく廃れていくこととなります。

当時の技術ではCBX1000の構造に無理があったこと、数年先であれば水冷技術やアルミフレーム技術が進歩していたこと、度重なる不運の中で消えていったホンダの名車「CBX1000」。

このような悲しい歴史があるからこそ、そこに人々はロマンを感じざるを得ません。

3.往年のライバル「Z1300」

ホンダCBX1000を語る上でどうしても避けて通れないライバルがいます。

それは、カワサキの「Z1300」です。

CBX1000と同じく直列6気筒エンジンを搭載しており、この世に誕生した年も同じく1978年でした。

同じ年に同じ特徴のバイクが2台も誕生したため、ライバルとして扱われるのも当然かもしれません。

(1)カワサキZ1300とは

ホンダCBX1000に負けず劣らずの名車と言えば、このカワサキ「Z1300」で間違いありません。

ホンダCBXと同じく1978年に登場、6気筒・1300㏄・重量300㎏と申し分ないスペックを持ち、当時の世間をにぎわせました。

カワサキもホンダと同じように、今後カワサキを背負って立つバイクを開発することを決心し、6気筒バイクZ1300が誕生しました。

Z1300の排気量は厳密には、1,286㏄であり、なぜこのような数字になったのかと言うと、アメリカで絶大な人気を誇った「ハーレーダビッドソン」を超えないように、ホンダが開発したCBX1000を超えるようにとも言われています。

開発には相当な人員と莫大な時間がかかっており、50種類以上にも及ぶフレームが幾度となく試されただけではなく、よどみのあるメカニカル音を限りなく消すために試行錯誤された経緯があります。

ちなみに、カワサキはこのZ1300のためだけに無響室を作ったそうです。

このようなカワサキ開発チームの努力の末、5年の歳月をかけて完成した世界最大級水冷6気筒エンジン搭載車がZ1300なのです。

熱問題の観点から、ホンダのように空冷ではなく、水冷にしたことが正解でした。

他にも、ロングストロークエンジンを採用しており、6気筒の大きくなりすぎてしまう横幅を抑えるため、スモールボア&ロングストロークエンジン、1つのキャブで2つの気筒を補う3連と各所に工夫が見られます。

DOHCインラインフォー搭載のZ1が登場し、次に登場したZ2までもが販売実績の記録を更新するほどの人気を見せていたため、かつてないほどの衝撃を世間に与える必要がありました。

それを見事なまでに打ち破ったのがZ1300です。

(2)CBX1000とZ1300の開発までの経緯

もちろん数えだしたらキリがありませんが、大きな違いは「開発までの経緯」が違うということです。

そもそもCBX1000はRC166のレプリカとして製作され、後にクルーザータイプへと転身しました。

それに対して、Z1300は初めからクルーザーとして開発されていたということです。

それもそのはず、Z1300の構造を見てみると、シャフトドライブや27Lタンク、大きな巨漢に乾燥重量297㎏もあるのですから、初めからスピードや機敏性などを求めている訳ではありません。

同じ6気筒で同年デビューということもあり、何かと一緒にされ比較されることの多い2者ですが、その開発までの道のりは大きく異なっていたのです。

しかし、なぜそこまでCBX1000もZ1300も6気筒にこだわっていたのでしょうか。

それはアメリカ特有の考え方に起因しており、とにかく6気筒はステータスでした。

日本でも車はV8に限る、スポーツカーと言えば直6だなどと言っている方もいますが、それと同じ感覚です。

もちろん格好がつくという理由もありますが、実は実用性の面でも優れているからこそ人気があります。

実はエンジンは気筒数により、さまざまな振動が生じます。

エンジンの稼働に合わせて気筒数により振動することで、車体が揺れる、ハンドルがぶれるなどの現象が起きますが、ほとんどはバランサーシャフトを装着することで解決します。

しかし、バランサーシャフトはクランクから回転する力を借りて作動するため、そのせいで馬力に影響を与えます。

そこで考えられたのが、直列3気筒を2つ並べるという手法です。

日本でも街中を走っている軽自動車にはバランサーシャフトは装着されていません。

なぜなら、燃費競争が激化している軽自動車界において、燃費の悪くなる構造は負の要因でしかないからです。

軽自動車では、直列3気筒を用い、エンジンマウントなどを工夫することで振動を抑えています。

このように、直列3気筒を2つ並べることでバランサーシャフトを用いることなく振動を抑えることに成功しました。

努力の末に生み出された汗と涙の結晶だからこそ、6気筒が日本だけではなく、世界中からリスペクトされている理由なのです。

ちなみに、そんなZ1300は海の向こうでは「伝説の直6」と呼ばれています。

5.実用的なレストアを学ぼう

これまで「レストア」という言葉は聞いたことがあるものの、詳しくは知らないという方のために、簡単にレストアとは何かを解説します。

なぜここでレストアの話をするのかと言うと、CBX1000は約40年前に誕生したバイクであり、正しい知識を持って接する必要があるからです。

レストアとは、動かなくなってしまったバイクをもう一度よみがえらせてあげることを言います。

一般的には、専門のショップや修理屋さんなどでレストアを行うことが多いですが、自分でも行うことは可能です。

自分の手でレストアを行い、バイクが新しく生まれ変わる瞬間に立ち会えたとき、これまでになかった感動を覚えることでしょう。

さながら整備に没頭している時間は、少年時代に山に虫取りに出かけていたときの時間を思い出させてくれるかのような夢の時間です。

レストア上級者になると、動かなくなったバイクを安く仕入れ、それを転売する、または自分で乗るなども楽しめるようになります。

シネックスゲージやスパークテスターといった聞きなれない工具も必要となりますが、まずはドライバー・ペンチ類・スパナ類などから徐々に慣れていくことをオススメします。

今はまだよく分からないという方でも、やっているうちに必ず覚えていきます。

「習うより慣れよ」と言いますが、レストアはまさに慣れることでスキルアップしていきます。

ぜひみなさんもCBX1000の細部まで興味を持って接してください。

6.まとめ

ホンダCBX1000は、販売当初は思うように販売実績を上げることができなかった不運の名車です。

もし価格が庶民的な設定であれば、技術革新が進んだ数年後に開発されていればと悔やまれます。

しかし、当時のホンダの技術力を結集させ製造された名車は、時代がCBX1000に追いつき脚光を浴びることとなりました。

総生産台数は38,079台とされており、これらはすべて海外での販売です。

当時の日本にも逆輸入として入荷はされていましたが、数はごくわずかでした。

それゆえに数が少なく希少な存在として注目を浴びています。

日本でも中古車ショップを始め、わずか数十台しか確認されていません。

歴史に名を残した名車「CBX1000」は、時を経て復活を遂げることとなりました。